水と塩をめぐる植物の戦略

岡山大学資源生物科学研究所 助手 且原真木

1996年8月10日実施


「はじめに」
生物、あるいは人間が生物をさまざまな形で利用している営みである農業は、環境と常に対峙しています。これは今も昔も変わらぬ事実ではありますが、地球環境問題へ多くの関心が寄せられている近年、この当たり前のことが、再び見直され、あるいは新しい観点で議論されています。この公開講座では「環境と生物」という主題を前年度から引き続きとりあげ、この分野での成果を様々な角度から見ています。前年度にも「植物と水」という題目がありましたが、本講演ではこのテーマをさらに掘り下げて、あるいは別の視点から、紹介したいと思います。
水はすべての生物にとって必須です。水が不足した時、動物ならば水を探しに行けるでしょう。しかしいったん根を下ろしたら移動できない植物にとって、水の不足は極めて深刻な問題です。また、恒常的な乾燥は、単に水が不足するだけでなく、多くの場合塩の集積・過剰による植物の生育阻害を引き起こします。そこで塩の問題は乾燥との関連で見ていこうと思いますが、その前に、水が逆にありすぎる過湿という問題に植物はどう対応しているか、少し考えてみましょう。

「過湿環境への適応」
稲の育つ水田は、近頃都市部では見られなくなったとはいっても、やはり米食文化の日本の原風景です。そこで植物と水の関係を考えると水田が容易にイメージされますが、実は水田は一般的な植物にとっては極めて水分過多、過湿の環境です。稲は過湿環境に極めてうまく適応している作物であり、稲のような水田で生育する作物はレンコンぐらいなもので(他にもジュンサイ等いくつかマイナーな作物はありますが)、大部分の植物は水田では生育できません。他の作物を畑状態で作っているのは単に水を節約するためというわけではないのです。植物の光合成は葉緑体でおこなわれていて二酸化炭素が吸収され酸素が生産されていますが、葉緑体のない根は、動物と同じように酸素を吸って二酸化炭素を吐く呼吸をしています。ですから根と土壌が完全に水に浸かってしまったら、植物の根は窒息してしまうのです。鉢植えなどで水をやりすぎて根腐れが起こる場合、多くは根が窒息死しているのです(かびなど病原体が原因の場合もあります)。レンコンはハスの根ですが、ハスはこの問題を解決するために根の内部に通気組織を持っています。レンコンの「穴」、これが通気組織でここを通じて地上部から空気が根にまで送り届けられているのです。稲の根にもこの通気組織が備わってます。学術用語的には根の通気組織は「破生間隙」と呼ばれ、細胞と細胞の間に間隙がひろがったものです。もともとはどんな植物でも程度の差はあれ通気組織はあって、通常は畑作物である大麦でも、過湿耐性の強い品種を冠水状態で育てれば、その根には破生間隙ができてきます。しかしやはり限界があり、湿地の植物や浮草の発達した通気系にはおよぶことはできません。

「乾燥への適応 − サボテンの場合」
砂漠は世界の陸地面積の15%におよびます。降水が少ないことが砂漠の最大の特徴です。冷涼な砂漠も存在しますが、多くの砂漠は、暑く日差しの強いところにあります。演者が1年を過ごしたアメリカ合衆国アリゾナの砂漠も、夏の日中の気温は40℃以上、湿度は20%以下でした。そんな環境下、一見すると荒涼と見える砂漠にもさまざまな植物がそこに適応して生育しています。潅木の葉は小さいか、細いか、ほとんど葉のないものもあります。広い葉をつけていたのでは蒸散が激しく、すぐにしおれてしまうからです。また白っぽい植物も目立ちます。光合成には光と水が必要ですが、砂漠で水が足りない状態で光を受けすぎて光合成のバランスが崩れるのを避けるため、光の大部分を反射しているのです。
いろいろな植物が生育するといっても、やはり砂漠をイメージさせる主役はサボテンでしょう。サボテンは乾燥環境にもっとも適応した植物です。葉は光合成をせず、刺に変わってその身を守っています。根はたまに降る雨を効率よく集めるために、地表近くで広い面積に張り巡らされています。茎はその表面で光合成し、内部では水を貯めています。光合成の様式としては、CAM(カムと読みます)型光合成をおこなっています。気温が下がる夜間に気孔を開いて二酸化炭素を取り込み、昼間気孔を閉じて水が蒸散で失われることを防ぎながら光のエネルギーで光合成をおこなうこの方法は、高温乾燥の環境に適応したものといわれています。ただし、その代償として光合成全体のスピードはおそくなります。西部劇でおなじみのサワロサボテン(おおはしらサボテン)は、大きくなるのに100年近くかかるそうです。このように砂漠に適応したサボテンも、幼植物時代から乾燥に強いわけではありません。水を集めるべき根も、水を貯める茎もまだない芽生えの時には、当然ながら雨水を必要とします。この問題へはどう対応するのでしょうか。アリゾナでは7-8月がスコールの時期なのですが、サボテンはこのスケジュールに合わせて、5-6月に開花し、結実し、スコールの時期にちょうど種子が発芽するようになっているのです。また幼植物は最初の数年間、潅木の影で直射日光を避けながら成長します。この保護する植物をナースリープラントといい、これは環境と植物の関係を、生態系の中で捉えていかなくてはならない事を示す一例と言えるでしょう。

「乾燥と塩害」
地球上に分布する塩集積土壌の面積は3億から9億ha、アメリカ合衆国の面積に相当するほどと推定され、農業利用可能陸地面積の一割を超すと考えられています。「はじめに」のなかで触れましたように、恒常的な乾燥によって多くの塩集積土壌が形成されます。降水より蒸発量が多いところでは、もともと少しはあった塩類(多くの場合、食塩−NaCl−ですが、他の塩の場合もあります)がだんだん濃縮されて、ついに害を及ぼすほど高濃度になる、というのが基本的なメカニズムです。太古に海や塩湖であったところが干上がって形成された土地であるため、元来土壌の塩分濃度が高いという場合もあります。しかし近年ますます深刻になっている問題は、乾燥地を灌漑した場合に生じる塩害です。乾燥地で灌漑した場合、適切な水管理がなされないと、先に述べた基本メカニズムが働いて塩集積が起こります。もともとの砂漠とは違って灌漑地では作物を育てていますから影響は大きく、灌漑地の10%以上が塩集積で何らかの影響を受けていると推定されています。さまざまな対策が取られていますが、この問題を完璧に解決すること、すなわち乾燥と塩の環境を完全に支配しコントロールしようとすることは非常に難しいようです。それよりも水管理を含めた農業土木技術と耐塩性作物の導入を適切に組み合わせ、環境と折り合いをつけて持続的な生産を目指すのが、これからの道と思われます。

「塩集積土壌で生育する塩生植物」
塩集積土壌では一般に植物の生育はきわめて貧弱になり、ひどければ枯死してしまいます(塩ストレス)。塩がどのようにして植物を枯らすのかは、京大の間藤先生の名づけた「漬物理論」で説明できます。漬物は野菜を塩漬けにした保存食ですが、まず塩が野菜の水分を吸収し(浸透圧ストレス)、ついで高塩濃度で雑菌の繁殖が抑制されます(イオンストレス)。つまり土壌の可溶性塩分濃度が高いと植物は浸透圧ストレスによって吸水が阻害され、ついで進入してきた塩が体内で濃縮し、ついにイオンストレスで細胞質での代謝が乱されると考えられます。しかしそんな塩集積環境にも適応して強い耐塩性を示す植物があって、塩生植物と呼ばれています。塩生植物を研究することによって二種類の成果が期待されます。ひとつは塩生植物を作物化すること、もうひとつは塩生植物の耐塩性の機構を解明して、作物に耐塩性を付与することです。
先に述べたCAM型光合成は塩生植物の生存戦略のひとつになっています。アイスプラントの場合、塩ストレスがない環境下では通常の光合成をおこない速やかに成長し、塩ストレスにさらされると光合成がCAM型に切り替わります。また過剰のNaClを排出するための「のう胞細胞」を持っています。ソルトブッシュは飼料作物としての価値が検討されている塩生植物で、高濃度のNaClを吸収し貯め込みますが、細胞内ではNaClは液胞に存在し、細胞質のNaCl濃度は低く保たれています。またソルトブッシュも過剰のNaClを排出するための塩毛と呼ばれるしくみを持っています。
塩生植物であっても、その植物の代謝をつかさどる酵素は一般の植物の酵素と変わらず、特別塩に強いわけではありません。耐塩性の秘密は、吸収した塩を大切な代謝が行われる場(細胞質)から隔離し、体外に排出するところにあったのです。植物の細胞の中は細胞質と液胞に分かれているのでこのようにできるのですが、そうすると今度は別の問題が生じます。溶液の濃度が違うと、水は濃いところから薄いところに移動する、という現象です。つまり液胞にためたNaClの濃度に相当する「何か」が細胞質にもないと細胞質から水が出ていってしまうのです。この「何か」の一部は必須元素のカリウムであり、残りの部分は特定の有機物を蓄積することでバランスを取っています。このような役目を担う有機物を「適合溶質」あるいは「浸透圧調節物質」と呼んでいます。そこで「適合溶質」のひとつ、マニトールを合成する酵素を導入することによって非塩生植物のタバコにマニトール合成能力を付加したら、果たして耐塩性が向上するかどうか実験されました。結果は予想のようにタバコの耐塩性が強化されました。

「カリウムとナトリウム」
塩生植物がいくら隔離や排出をしたとしても、NaClが無制限に侵入してきては対応しきれません。何らかの制約が必要です。ナトリウムイオンの植物細胞への侵入経路についてはかなり明らかになってきました。水に溶けた状態で一価の陽イオンになるナトリウムに化学的に最も似ている必須元素はカリウムです。植物はカリウムを吸収するしくみを持っていますが、塩ストレス環境下ではナトリウムイオンはこのカリウム吸収系を使って細胞内に入ってきます。
説明図
最近カリウム吸収にかかわる遺伝子がいくつか同定されました。そのうちのひとつ、小麦で最初に見つけられてHKTと名づけられた遺伝子は、もちろんカリウムの吸収のためにあるのですが、ナトリウムに非常に強く影響されました。この遺伝子の一部を変えてみると、試験管内の実験ではナトリウムの吸収能力が変わり、この改変した遺伝子を酵母菌に導入したらその酵母の耐塩性が変わりました。この遺伝子が植物で実際どう働いているのか、これは現在研究が進行中です。

「おわりに−塩害に強い作物を目指して」
      人間を含めて動物にとって食塩は必須栄養素ですが、植物は基本的に食塩を必要としません。かえって塩は作物の生育を阻害します。しかし、高塩濃度環境下で生育する塩生植物の研究から耐塩性のしくみが解明され、作物に耐塩性を付与する可能性が見えてきました。塩に強い作物によって乾燥地における灌漑農地での生産性を維持し、塩集積土壌を新規に農地として利用し、海沿の農耕地における高潮被害を防ぐことが期待されています。

砂漠の風景 アリゾナ近辺の砂漠の風景はこちら。



アリゾナ州ツーソン(Tucson)

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