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宇宙環境における植物の適応能力と −宇宙での食糧生産を目指して− 細胞分子生化学グループ 杉本 学 准教授 |
全国の新聞やテレビで報道され天声人語でも話題となった「宇宙ビール」。 |
ロシアの宇宙開発研究や宇宙科学研究の中心的役割を担っているロシア科学アカデミー生物医学研究所(IBMP)のシチョフ博士率いる研究グループは、植物栽培装置を開発して国際宇宙ステーション(ISS)ロシア実験棟に設置し、宇宙空間でサラダ菜やエンドウなど様々な植物の栽培に成功しています。今回、IBMPでは宇宙空間で生育した植物や保存した種子における遺伝子やタンパク質の変化に関する研究を計画することになり、大麦の環境ストレス耐性メカニズムを遺伝子とタンパク質レベルで解析している私に、シチョフ博士から宇宙植物研究への参画依頼がありました。そこで、宇宙環境に曝露した大麦の生育や遺伝子とタンパク質の発現などの共同研究を2006年から開始することになりました。
人類が地球から遠く離れた宇宙に長期滞在し活動する場合、宇宙で作物を栽培し食糧を自給自足する必要があります。特に、主食となる穀物を宇宙で持続的に安定して栽培することは重要です。大麦は乾燥や高温低温等の厳しい環境に対して小麦や米よりも強いので、宇宙放射線や無重力などの宇宙環境下で生育や性質の変化が少なく安定的に栽培できることが期待できますし、乾燥に強いので宇宙では非常に貴重な水の消費が少なくて済みます。また、大麦は精米にくらべビタミンB、カルシウム、カリウム、食物繊維が多く含まれており栄養価が非常に高い点でも優れています。
大麦には低温処理(越冬)が必要な「秋播き型」と低温処理が不要な「春播き型」があります。秋播き型大麦を栽培するには植物栽培装置を1ヶ月程度低温状態に保たなければいけないので多量の電力が必要となり、電力供給量が限られているISSでの栽培は困難です。この点、はるな二条は春播き型大麦であり低温処理が不要です。また、はるな二条はサッポロビールが開発したビール醸造用大麦品種であり岡山大学資源生物科学研究所が中心となり行った大麦ゲノムプロジェクトのモデル大麦として利用したので、生育特性や遺伝子・タンパク質のデータ、麦芽やビールの成分データが蓄積されています。ですから、宇宙環境により大麦の生育、遺伝子やタンパク質に変化があれば迅速に確実に検出することができます。
2006年4月24日プログレス補給船により大麦種子約26グラムがISSに搬送され、9月29日までの約5ヶ月間ロシア実験棟内で保存されました。この間、植物栽培装置による大麦種子の発芽と28日間におよぶ長期間の生育に世界で初めて成功しました。地上に持ち帰った宇宙大麦は発芽率が100%で、生育速度、稔性、葉や実の大きさ、色、形などに変化はありませんでした。変化がないという結果は地味なものですが、宇宙環境で持続的に安定して作物を栽培できる可能性を示すものであり、人類が宇宙で生活していくための大きな一歩であると考えています。
宇宙大麦から生育した大麦に変化はありませんでしたが、その生体成分については不明です。そこで、宇宙環境が大麦の生体成分に及ぼす影響を調べる研究の一つとして、宇宙大麦を原料とした麦芽やビールを製造してその成分を分析します。ただし、ISSに搬送できる種子は極めて少量でビールの醸造はできませんので、宇宙大麦種子100粒(約4グラム)を去年の春から2シーズンかけて栽培し、今年5月末に約45キログラムの宇宙大麦の子孫を収穫しました。この宇宙大麦の子孫を使って醸造するビールが宇宙ビールです。宇宙ビールは今年11月に完成を予定しています。
アメリカ航空宇宙局(NASA)とロシア連邦宇宙局(RFSA)は月面基地の建設をそれぞれ2020年と2028年までに開始する構想を発表しています。IBMPとの共同研究では、宇宙船外などのより過酷な環境が大麦に及ぼす影響や宇宙での長期保管や栽培の実現に向けた研究を行う予定にしています。このような研究により、宇宙環境で栽培する作物に起こりうる問題や作物栽培に不可欠な条件を知るための有用な情報を提供し、人類の宇宙開発に貢献したいと思っています。 (2008年6月)
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