What's 植物研?

~植物研かんたんガイド~

Once upon a time in Kurashiki,

a visionary built an agricultural institute

to improve farmers’ life in the area...

 

それは「大原美術館が生まれる16年前」、

まだ、この国に国立遺伝学研究所も

理化学研究所も無かった時代、

「儂の目には10年先が見える」
こう言って、大原孫三郎は、

農業の未来のために
この研究所を設立した。

「財団法人

大原奨農会農業研究所」誕生

 1914年、年号が「明治」から「大正」に変わり3年、この国は「急激な近代化」の真っ直中だった。

 そんな時代に、倉敷紡績2代目社長・大原孫三郎は、「地域農家の生活向上のため」そして来るべき農業問題に貢献するため」に「財団法人大原奨農会農業研究所」を創立した。

 この後、孫三郎は「地域住民のために」様々な施設を作り上げていった。(大原社会問題研究所(1919年創立)、倉敷労働科学研究所(1921年創立)、倉敷中央病院(1923年創立)、大原美術館(1930年創立))

 こうして、この研究所は、「儂の目には10年先が見える」といいながら、近代日本の創生期を駆け抜けた男の「最初の夢」として生まれた。

財団法人

大原奨農会農業研究所から

大原農業研究所へ

 大原孫三郎の「最初の夢」として生まれた「財団法人大原奨農会農業研究所」では、その創設者が創設時に掲げた「深遠なる学理を研究し、これが実際的応用に依る農事の改善」という理念の元、初代所長・近藤萬太郎博士を中心に「将来の農業に役立つ基礎研究」が行われた。この時期の本研究所の研究には、後の「果樹王国・岡山」の礎となる「白桃」の研究などがある。

 この時期の我が国は、まだ「国立の基礎研究所の必要性」が国会で議論されている時であり、そんな時代に「地方都市」に「個人が創立した」本格的な基礎研究を行う研究所があったことは驚きに値する(上記の議論の結果、半官半民の財団法人・理化学研究所が設立されたのは1917年、国立遺伝学研究所が設立されたのは1949年であった)。

 年号も昭和に改まり3年が経った頃、「財団法人大原奨農会農業研究所」の名称も「財団法人大原農業研究所」と改められた。

岡山大学

農業生物研究所

 第二次世界大戦終戦後、農地改革により財政基盤を失った「財団法人大原農業研究所」は、岡山大学へと移管された。本研究所創設当時、大原孫三郎は、「地域のために農学校を創る」ことも計画していた。こうして、孫三郎の「最初の夢」である本研究所は、もうひとつの夢である「地域への知の還元」という想いと結びついた。

 移管時の「岡山大学農業生物研究所」には、植物病理学、生物化学、害虫学、作物生理学および作物遺伝学の5部門が設置された。後に、微細気象学部門(1960年発足)、水質学部門(1966年発足)、雑草学部門(1970年発足)および大麦系統保存施設(1979年発足)が加えられ、「基礎研究」と「系統保存」という現在の本研究所の基本骨格は、この時期に作られた。

岡山大学

資源生物科学研究所

 そして、時代が昭和から平成へと移り変わろうとしている頃(1988年)、「岡山大学農業生物研究所」は、時代と共に拡大する研究領域に対応するため「岡山大学資源生物科学研究所」へと改組された。新しい研究所は、遺伝情報発現部門、生物機能解析部門、生物環境反応部門、生活環解析部門および大麦系統保存施設によって構成されていた。1997年には、大麦系統保存施設が大麦・野生植物資源研究センターへと形を変えた。2003年にも再び改組が行われ、機能開発・制御部門、環境反応解析部門の2大部門、15研究グループ制へと移行した。現在の本研究所のほとんどのグループは、この時期に形成されたものであり、本研究所の新しい形が作られた時期である。

岡山大学

資源植物科学研究所

 2010年に、「岡山大学資源生物科学研究所」は、国立岡山大学の独立法人化後に、植物の研究に特化した「岡山大学資源植物科学研究所」へと生まれ変わった。新しい研究所は、全国でも唯一の農学に関する大学附置研究所として、「植物遺伝資源・ストレス科学研究」の共同利用・共同研究拠点に認定された。現在の研究所には、13の研究グループが設置されており、「植物の基礎科学研究」および「遺伝資源系統」を活かして、現代の農業および社会が抱える問題を解決するための研究を続けている。

 そして、「孫三郎の最初の夢」である本研究所は、2014年に100周年を迎える。