気孔とアブシシン酸/ Stomata and abscisic acid

2.1. アブシシン酸受容体 / Abscisic acid receptors
植物の感覚器官?
私たちヒトは,周囲の刺激・信号を受け取る器官を持っています.たとえば,光信号は目で受け取ります.空気の振動は耳で,空気中を漂う化学物質は臭いとして鼻で,口に含んだ液体中の化学物質の刺激は味として舌でそれぞれ受け取ります.それぞれの刺激・信号は目・耳・鼻.舌の細胞にある信号の受容体で認識されます.目の網膜と呼ばれる組織の細胞にあるロドプシンというタンパク質は光受容体として知られています.さて,植物ではどのようになっているでしょう.周囲の刺激・信号を認識する受容体は,動物だけでなく,植物はもちろんのこと,単細胞生物,原核生物にも知られる限り全ての生物に備わっています.アブシシン酸は,植物ホルモンの一種です.アブシシン酸が気孔閉口を誘導することは,高校の理科の教科書にも乗っている有名な現象です.そしてもちろんのこと植物はアブシシン酸を認識する受容体をもっています.

アブシシン酸受容体は特別
細胞の中の核には,遺伝情報を持っているゲノムDNAが折りたたまれて存在しています.植物ホルモンの受容体はタンパク質から作られています.植物ホルモン受容体をつくるための遺伝情報は,もちろんゲノムDNAのなかに記録されています.他の植物ホルモンの遺伝情報とくらべてアブシシン酸受容体の遺伝情報の際立つ特徴は,ゲノムDNAの中に記録されている数です.アブシシン酸受容体以外の植物ホルモン受容体の数はゲノム中に数個(コピー)と考えれられていますが,アブシシン酸受容体遺伝子は10-20コピーも存在します.植物は,性質が少しずつ異なる(構造が少しことなる)アブシシン酸受容体をたくさん備えているのです.どうしてアブシシン酸の受容体はそんなに多く必要なのでしょうか.そんな疑問をもつのも不思議ではありません.

アブシシン酸受容体の役割分担
私は,これらのアブシシン酸受容体にはそれぞれ異なった役割があると予想し,それぞれの役割をあきらかにすることに興味を持っています.特に,気孔の運動への役割について研究しています.にたようなものと思われるかもしれませんが,気孔運動の分子生理学研究を進めていくと,アブシシン酸が開いた気孔を閉じさせる場合と閉じた気孔を開かないようにする場合では細胞内で生じるメカニズムは別であることがわかります.それぞれのメカニズムは性質が少し異なった別のアブシシン酸受容体分子種によってコントロールされていると考えるのが妥当なようです.それだけではなく,アブシシン酸は直接気孔運動に影響を及ぼすだけでなく,他の植物ホルモンや刺激・信号への応答を強めたり弱めたりして気孔運動を間接的にコントロールしているとしか考えられない作用を示しています.このような間接的なコントロールには,また別のアブシシン酸受容体の役割であることが分かり始めています.

このような多様なアブシシン酸受容体の機能を研究するために,アブシシン酸受容体遺伝子に異常を生じた突然変異体の植物の気孔運動を調べています.ひとつの遺伝子に異常が生じても,みかけ上気孔運動にまったく影響がないように見えることがあります.そのような時には,突然変異体を交配して,複数の遺伝子に異常を生じた多重変異体(五重変異体や六重変異体)を解析することがしばしばあります.根気のいる仕事です.

このテーマに関連する代表的な論文

  • Ye Yin, Yuji Adachi, Wenxiu Ye, Maki Hayashi, Yoshimasa Nakamura, Toshinori Kinoshita, Izumi C. Mori*, Yoshiyuki Murata
    Difference in abscisic acid perception mechanisms between closure induction and opening inhibition of stomata
    Plant Physiology 163: 600–610 (2013)
    doi.org/10.1104/pp.113.223826
  • Ye Yin, Yuji Adachi, Yoshimasa Nakamura, Shintaro Munemasa, Izumi C. Mori*, Yoshiyuki Murata
    Involvement of OST1 protein kinase and PYR/PYL/RCAR receptors in methyl jasmonate-induced stomatal closure in Arabidopsis guard cells
    Plant and Cell Physiology 57: 1779-1790 (2016)
    doi: 10.1093/pcp/pcw102

2.2. カルシウムシグナルと活性酸素シグナル / Calcium signaling and reactive oxygen species signaling
植物は中枢神経をもってない
植物は,動物の脳のような中枢神経をもっていません.しかしながら,別の項(1.2. 気孔に脳はあるの?)で述べたように,静かに見える植物もまるで脳があるかのように,迅速に情報を処理しています.それだけではなく,組織と組織のあいだで頻繁に信号のやり取りをしているとしか考えられません.そこでは中枢神経や神経細胞をもつ動物とはことなる情報の処理・伝達のしくみがあります.そのひとつは植物ホルモンのような低分子化合物です.また,アミノ酸が連なった短いペプチドも細胞間の情報の伝達に役立っていることが近年わかってきました.いやいやそれだけではなく,電気信号も情報の伝達に役立っていることもわかってきています.

MISO?
ITや電波技術の分野では,MISOは Multiple-Input, Single-Output の略称で「ミソ」とは呼ばずに「マイソ」あるいは「エムアイエスオー」などと呼ばれている技術です.ひとつの発信元からひとつの受信先に情報を伝える場合にはSingle-Input, Single-Output, SISOと呼び,複数から複数の場合はMIMOと呼ばれています.MISOは複数の発信元からの情報をもとにひとつの情報を取り出して利用する技術です.その例としては,携帯電話で電波を受信があります.複数の電波基地から自分の携帯電話に電波が届く時には,電波基地の位置などによって,強弱や電波の位相がずれて情報が届くなどしてしまいますが,これらの情報を統合して,きちんと電話が聞こえるようにするために情報を適切に処理して意味のあるひとつの情報に変換する必要があります.

生物においても情報の制御は大変重要です.動物では脳から神経系を通じて体のそれぞれの部位へ情報が伝えられています.神経は一本というわけではありませんので,脳からの情報伝達を単純にSingle-Input, Multiple-Output(SIMO)と表現するのは適切ではないかもしれませんが,植物の分散的な情報処理の方法と比べると,動物はよりSIMO的で,植物はよりMIMO的といっても良いのではないでしょうか.

さて,話は我らが孔辺細胞になります.気孔だって開いたり閉じたりしているだけではなく,いろいろな応答をしているという意見は間違いありません.とはいえ,気孔の大事な役割といえばなんといっても,その開け閉め運動です.アブシシン酸のみならず,光・二酸化炭素濃度・湿度・病原菌の来襲・大気汚染物質の侵入・概日リズムなどさまざまな条件が気孔開度に影響します.孔辺細胞と周りの細胞が協調してこれらの情報への気孔開度の調節を行っていると考えられる証拠がある一方,特殊な方法で孔辺細胞のプロトプラストを単離したのちに,そのプロトプラストの膨張・収縮を観察したり,葉の表面を構成する表皮組織を剥ぎ取ったあと特殊な方法で孔辺細胞以外の細胞を殺して,気孔運動を観察したりする実験により,孔辺細胞は単独でこれらたくさんの情報を認識して,気孔を開いたり閉じたりする能力があることが明らかとなっています.

生物におけるMISO 情報処理の理解は大変重要です.中枢神経を持つ動物では環境情報多くは,MISO的に脳で処理・統合されこれがふたたびSIMO的に体の各部分へと伝達されると考えられます.中枢神経を持たない植物細胞は,各組織・細胞がMISO的情報処理(情報の統合)を担っています.各細胞があたかも「脳」のような情報処理の働きをしているといって良いかもしれません.その中でも孔辺細胞のMISO情報処理は,Outputが気孔開度という生理学実験的にわかりやすくなっています.このため,植物のMISO情報処理の理解において(おそらく植物だけでなくほぼ全ての多細胞生物のMISO処理の研究において)孔辺細胞は非常に優れた研究モデルといって良いのではないでしょうか.

孔辺細胞における情報統合モデルの仮説
中枢神経では,ニューロンとニューロンがシナプスを介してネットワークを形成し,このネットワークにより情報が統合されると考えられています.細胞たったひとつの孔辺細胞はどのように情報を統合しているのでしょうか.このクエスチョンが,私の研究のなかでも極めて重要な問いです.この記事のタイトルは「気孔とアブシシン酸」としましたが,この研究の本質は,孔辺細胞における情報統合のミステリーを解くことです.

<カルシウムシグネチャー仮説>
植物・動物・微生物などの生物種を問わず,細胞の機能の決して少なくないものがカルシウムによって調節されています.カルシウムは何かに結合している沈着だ他のカルシウムと,二価の陽イオンで存在する遊離カルシウムのふたつの状態があります.細胞質内の遊離カルシウムイオン濃度の上昇下降の変化により細胞内の情報を別のタンパク質などに伝える機構は「カルシウムシグナリング」と呼ばれています.この過程では,細胞に届いた一次刺激(プライマリーメッセージ)が細胞内で,二次的な刺激に変換されています.このような働きをする信号伝達分子は「セカンドメッセンジャー」とよばれますが,細胞内遊離カルシウムイオンはセカンドメッセンジャーのひとつです.

細胞内遊離カルシウムイオン(長いのでこれから[Ca2+]cと略しましょう)は,高くなれば信号が”ON”,低くなれば信号が”OFF”という単純なものではないと考えられています.あるリズムで [Ca2+]cは上昇・下降を繰り返します.この上下動の頻度が,情報であるアイディアが,Gethyn Allen博士らによって提出されています[1,2].Allen博士の報告によれば,[Ca2+]cの上下動(彼は振動,Osillationという用語を用いています)が7.5分に1回,これを3-5回繰り返すと,気孔が閉じるだけではなく,閉じ続けるということです.振動の頻度が2分に1回であったり,15分に1回の場合は,気孔は瞬間的に閉じますが,またすぐに開いてきてしまうと報告しています.このように,[Ca2+]c振動のパターンが情報を持っている現象はカルシウムシグネチャー(Calcium signature)を呼ばれています.

  • [1] Allen et al. A defined range of guard cell calcium oscillation parameters encodes stomatal movements. Nature 411, 1053–1057 (2001). doi.org/10.1038/35082575
  • [2] Allen et al. Alteration of stimulus-specific guard cell calcium oscillations and stomatal closing in Arabidopsis det3 mutant. Science. 2000 Sep 29;289(5488):2338-42. doi:10.1126/science.289.5488.2338.

<活性酸素種とカルシウムシグナルの情報カセット>
孔辺細胞の原形質膜(細胞膜あるいは形質膜とも呼ばれます)にも,カルシウムイオンを透過するイオンチャネルが存在します.イオンチャネルについては「6. 気孔とイオンチャネル」で説明したいと思います.この孔辺細胞の原形質膜に存在するカルシウムイオンを透過するイオンチャネル(カルシウム透過性チャネル)はおそらく複数存在すると予想されていますが,カルシウムチャネルの分子実体は現在研究が進んでいるところで,いまだに不明な点が多くあります.

孔辺細胞の原形質膜に存在するカルシウム透過性チャネルは,過酸化水素などの活性酸素で活性化されることが知られています.アブシシン酸でカルシウムチャネルが活性化される際には,NADPH oxidaseと呼ばれる酵素による活性酸素種の発生が必要であることが,分子遺伝学的に示されています.また,この活性酸素種の発生は単に濃度が高くなれば良いというものではなく,活性酸素種消去系に欠損がある変異体の解析から,特定の活性酸素種発生の仕方が必要であることがわかってきました.私は細胞外で刺激により誘導される活性酸素種発生を誘導性活性酸素種発生(Inducible ROS production)と呼び,気孔運動に関わる刺激とは無関係な活性酸素種発生を構成的活性酸素種発生(Constitutive ROS production)として区別することを提唱しました.

現在進行形の研究では,様々な薬剤の影響を比較し,アブシシン酸による気孔閉口誘導と気孔開口阻害では活性酸素種の発生・蓄積の場所が異なることが予想される結果が得られています.誘導性活性酸素種発生も,異なる生理作用において使い分けられていると考えるのが妥当だと考えています.今後さらに,活性酸素種発生にどのような使い分けがあるのか明らかにしていきたいと考えています.

孔辺細胞だけでなく,藻類の胞子の発芽後の伸長や根毛の先端伸長などにおいても,カルシウムチャネルと活性酸素種の発生が同時に生じる現象が,植物界で広く知られています.このような[Ca2+]c調節と活性酸素種がペアとなって機能することを「活性酸素種とカルシウムのカセット」という呼称で呼ぶ研究者もいます.

まだ,証拠は不十分ですが,カルシウムシグネチャーの形成は活性酸素種の発生パターンと密接な関係があると予想しています.現在,このモデルを作業仮説として,孔辺細胞における情報統合のメカニズムにおける活性酸素種の意味を明らかにしようと目論んでいます.

このテーマに関連する代表的な論文

  • June Kwak, Izumi C. Mori, Zhen-Ming Pei, Nathalie Leonhardt, Miguel A. Torres, Jeffery L. Dangl, Rachel E. Bloom, Sara Bodde, Jonathan DG Jones, Julian I. Schroder*
    NADPH oxidase AtrbohD and AtrbohF genes function in ROS-dependent ABA signaling in Arabidopsis
    EMBO Journal. 22: 2623-2633 (2003)
    doi.org/10.1093/emboj/cdg277
  • Izumi C. Mori, Julian I. Schroder*
    Reactive Oxygen Species Activation of Plant Ca2+ Channels. A Signaling Mechanism in Polar Growth, Hormone Transduction, Stress Signaling, and Hypothetically Mechanotransduction
    Plant Physiology 135: 702-708 (2004)
    doi.org/10.1104/pp.104.042069
  • Rayhanur Jannat, Misugi Uraji, Miho Morofuji, Mohammad Muzahidul Islam, Rachel E. Bloom, Yoshimasa Nakamura, C. Robertson McClung, Julian I. Schroeder, Izumi C. Mori*, Yoshiyuki Murata
    Roles of intracellular hydrogen peroxide accumulation in abscisic acid signaling in Arabidopsis guard cells
    Journal of Plant Physiology 168: 1919-1026 (2011)
    doi.org/10.1016/j.jplph.2011.05.006
  • Rayhanur Jannat, Misugi Uraji, Mohammad Anowar Hossain, Mohammad Muzahidul Islam, Yoshimasa Nakamura, Izumi C. Mori*, Yoshiyuki Murata
    Catalases negatively regulate methyl jasrnonate signaling in guard cells
    Journal of Plant Physiology 169: 1012-1016 (2012)
    doi.org/10.1016/j.jplph.2012.03.006
  • Rayhanur Jannat, Takanori Senba, Daichi Muroyama, Misugi Uraji, Mohammad A. Hossain, Mohammad M. Islam, Yoshimasa Nakamura, Shintaro Munemasa, Izumi C. Mori*, Yoshiyuki Murata
    Interaction of intracellular hydrogen peroxide accumulation with nitric oxide production in abscisic acid signaling in guard cells.
    Bioscience, biotechnology, and biochemistry, 84: 1418-1426 (2020)
    doi.org/10.1080/09168451.2020.1743168
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