なぜ気孔か? / Why stomata?

1.1. なぜ気孔か?なぜ気孔は動く必要があるのか?
「植物.上陸」
地球の歴史をひもとくと,オルドビス紀(およそ4億7千万年前)には,植物はすでに陸上に侵出したと考えられています.このころの植物は維管束が発達して おらず,気孔もまだなかったのではないでしょうか.デボン紀(4億年前から3億年前くらい)にはすでに大きなシダ植物が繁茂していましたので,この頃まで に気孔という大事な器官が発達していたと考えられます.石炭紀(およそ3億年前)には膨大な量の大気中の二酸化炭素が植物(シダ植物)によって固定されました.このときに固定された二酸化炭素から地中で石炭が生じました.このような石炭が18世紀後半(2百年あまり昔)からイギリスを中心に始まった産業革命を支えることになるわけです.気孔がなければ植物が大型化し,膨大な量の二酸化炭素を固定することはなかったかもしれません.時空を超えて人類は気孔の 大いなる影響を受けていると想像することはできませんか?時空を超えた,気孔が引き起こした地球の奇跡!?半分冗談ですが,まったく荒唐無稽というわけでもありません.

オルドビス紀の海中の空想上の動物のイメージ

オルドビス紀に陸上に進出した空想上の苔類のイメージ
ウロコゴケを参考にしました.

空想上のデヴォン紀の様子.丈が高く,気孔を持つシダ植物が繁茂する.

植物が固定した炭素からできた化石燃料.それを燃やして利用する人類.

そして,現在,化石燃料の燃焼により発生した二酸化炭素により,大気中の二酸化炭素濃度が上昇しています.大気中の二酸化炭素濃度上昇により地球温暖化の問題が生じているのはご存知の通りです.この問題をどのように捉えるのかはそれぞれです.環境問題は環境問題として,二酸化炭素にまつわるこの一連の地球科学的な出来事には,気孔の獲得が大きな役割を果たしています.

「気孔の獲得」
苔類(たいるい)には気孔がないとされていますが,蘚類(せんるい)には気孔が存在する事が知られており,もちろんシダ植物,裸子植物,被子植物には気孔があります.気孔の重要な役割はひとつではありませんが,なんといっても大事なのは光合成に必要な二酸化炭素の取り込みです.苔類はゼニゴケとウロコゴケ の仲間に分類されるそうですが,ゼニゴケには気室孔なるガス交換をする器官があるそうです.

海水の中は重炭酸(HCO3)が豊富あります.CO2の化学形態ではあまり存在しませんが,それでも光合成に必要な二酸化炭素を得るのは比較的容易です.また,海中では乾燥の危険を考慮する必要はありません.(潮間帯 (tidal zone)では話が違うかもしれませんが.)ここでは陸上植物の気孔の話をしたいので,海産藻類 (marine algae)の垂直分布の話は止めておきましょう.

話は陸上植物に戻ります.陸上に上がった植物はすぐに,水環境が海水中と比べ潤沢ではない状況に直面したと考えられます.また,当時は現在と比べ比較にな らないほど,空気中の二酸化炭素濃度が高かったとはいえ,海水中とはことなり,気相から二酸化炭素を取り込まなければならなくなってしまいました.そこで,進化の過程で気孔を獲得したと思われます.近年急速に,気孔形成の研究が進んでいます.植物の陸上適応との関連で大変興味がもたれます.それと同時 に,もちろんのこと気孔の運動を理解する生理学的な解析が,地球の歴史上極めてエポックメイキングな出来事のひとつである植物上陸の成功を理解するために重要であることは疑う余地がありません.

「開閉自在の穴とガス交換」
水の損失と二酸化炭素の獲得のバランスを維持して生命を維持することは陸上植物にとって極 めて深刻な問題です.樹木(じゅもく)はもちろんのこと草本(そうほん)においても,根から比べて高い位置にある葉へと水を運ぶことは簡単なことではあり ません.蒸散による水の損失は,二酸化炭素吸収のトレードオフのための負の要素だけではありません.根から地上部,茎から葉へと導管を経由した,蒸散流に のせて養分が植物体内に分配されます.蒸散流の調節がいかに植物の循環系にとって重要かわかるでしょう.まるで動物の血管系のような働きです.植物の循環 系は二つの心臓があるとも言われています.それは気孔からの蒸散による蒸散圧と根からの水の吸収による根圧を指しています.海水から十分なミネラルを供給 される海藻とはこの点でも大きく異なっています. 蒸散流が養分の分配に重要とはいえ,先に述べたように,陸上植物にとって水の損失は生死を分ける重要な問題です.水やりを忘れると簡単に植物は枯れてしま います.二酸化炭素の吸収と水の損失には,それがすべてではないとはいえ,やはりトレードオフの関係があると考えざるを得ません.二酸化炭素は欲しいが,それを獲得しようと思うと,水を失う.この矛盾は「陸上植物のジレンマ」と呼ばれています.
ここで,疑問をもったひとはいませんか?いまどき,水は通さないが水蒸気は通す人工素材があるじゃないか.陸上植物は進化の過程で二酸化 炭素を透過し,かつ水蒸気は通さないような素材(物質)を獲得し,楽々と二酸化炭素吸収と水損失の問題を解決しなかったのでしょうか.実は,そのような素 材は人工的にも作ることがいまだにできていません.二酸化炭素吸収と水損失は,二律背反の関係にあります.もうお分かりの通り,陸上植物はそのような素材を獲得するのではなく,進化の過程でより現実的な方法でこれを克服しました.気孔を獲得し,状況に応じて開閉自在の孔を利用することになったのです.

1.2. 気孔に脳はあるの?
「気孔.賢そう」
気孔は環境により自在に開閉して,二酸化炭素吸収と水損失のバランスを調節しています.もちろん,光合成ができない暗黒下では気孔は閉じます.なんとなく賢い印象がありますね.気孔のひらき具合は,二酸化炭素濃度・水(水蒸気圧)・光強度だけではなく,病原菌の存在や植物に悪影響をおよぼす大気汚染物質も感知して変化します.このように沢山の情報を処理して,開度を調節するとは,気孔はますます賢そうです.さて,賢いと言えば人間の場合,脳の働きが優れていることを指すでしょう.もちろん植物には動物のような「脳」はありません.

「孔辺細胞」
ほとんどの植物では,気孔は一対の孔辺細胞(guard cells)とそれを取り巻く副細胞(subsidiary cells)から構成されています.植物種にもよりますが,気孔運動は孔辺細胞だけでもかなり再現できます.植物から表皮を剥いて,さらに副細胞を含む表皮細胞を酸性化処理して,孔辺細胞のみが生きている状態を実験的に作ることができますが,そのような条件でも気孔は動くことから,孔辺細胞だけでも動くことができることが示されています.しかし,植物の個体の中では,孔辺細胞は孤立しているのではなく,様々な手段をつかって他の細胞と連絡を取り合っていることがわかっています.

「孔辺細胞での情報処理」
脳の話に戻りますが,脳は沢山の細胞からかたちづくられています.一方,孔辺細胞はひとつの細胞です.気孔は少なくともふたつの孔辺細胞で構成されていますが,このふたつの細胞さえあれば,さきほど述べたような高度な情報処理ができるのです.気孔に脳がないことは自明のことですが,あたかも動物の脳が考えているように,高度な情報処理をしていることは驚きです.それを知って,「気孔は賢い」と表現するひとがいても当然でしょう.私は,ひとつの孔辺細胞の中で沢山の環境刺激の情報がどのように統合されて,いわばあたかも脳の如く判断を下すのか,という問いに答えるべく研究を進めています.◼

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