研究所紹介

資源生物科学研究所 小山楽山翁(益太氏)について

小山楽山翁(益太氏)と小山楽山翁石碑
小山益太氏(1861-1924)は、桃の新品種「金桃」、「六水」を生み、果樹の袋かけ法の改善、ボルドー液などの消毒液の試用、殺虫剤の創案などを行 い、明治時代から果樹栽培の開拓者、指導者として岡山県のみならず全国的にも有名でした。小山氏を高く評価した大原孫三郎氏は、大正3年(1914)に大 原農業研究所の創立時に、小山氏を園芸部の指導者として招きました。
小山氏は約10年間(1914-1924)に亘って園芸部の研究員として、名田山(現在の向山)を開墾して模範的果樹園を作り、果樹特に桃栽培の実地指 導場とし、地方の農家の人達に技術指導を熱心に行いました。また、小山氏と同じく研究員の一人であった大久保重五郎氏(1867-1941)は桃の品種改 良に努め、新品種の大久保水密桃を作りました。大久保氏は、小山氏の門下生で、日本の産地で中心品種である桃のルーツとなっている新品種「白桃」を明治 34 年(1901)に創生しています。
大正13年に小山氏が名田山の園内で逝去し、多くの業績をあげた園芸部は、研究所の都合で廃止されました。しかし、小山氏の功績を記念して、同氏の号で ある楽山の名をとり、大原孫三郎氏は、果樹園の名前を楽山園と改称しました。さらに、小山氏の功績を永久に表彰するために、昭和10年(1935)年11 月1日に、大原家によって楽山園内の桃園の中腹に記念碑が設立されました。礎石は自然石、周囲の奇岩、鑑賞樹は多額の費用を投じて運び込まれたものです。 記念碑の高さは9尺(約2.7m)、幅2尺(約0.6m)、横1尺5寸(約0.45m)の庵治石で、碑文は大原敬堂(孫三郎氏)の力筆です。
また記念碑設立に際し、小山氏を追憶するために、大原農業研究所長の近藤萬太郎博士が編集兼出版者となり、小山氏の遺稿2編、筆蹟よりなる小山楽山翁遺稿が出版されました。

小山楽山翁遺稿(現在、岡山名産となっている白桃やマスカット等の果樹栽培技術や、米作増収法等貴重な内容が記されている。)

輝きを増した小山楽山翁(益太氏)石碑
向山(旧名田山)に登り、大原農業研究所創立時の所員の一人であった小山楽山翁(益太氏)石碑を、2006年の1月下旬に武田所長ほか数名の研究所員が訪 ねました。石碑の設立された場所は、向山の頂上の倉敷八光焼の窯元近くで、80年程前までは大原農業研究所の果樹園があった所です。ずっと以前の果樹園の 廃園、近年の周辺の土地の埋め立てなどによって当時とは全く風景が様変わりしていました。

多額の費用をかけて設立された石碑、礎石、樹木は、往時の面影を伝えるように現存していました。長年覆っていた植物が切り払われると、磨きぬかれた染み一つ無い石碑と、大原孫三郎氏の力筆の碑文が久しぶりに輝きを増しました。

楽山園
楽山園(昭和9年に倉敷市役所が発行した倉敷観光案内の第6章 名勝旧跡の名勝の項で楽山園が紹介されている。その文章の一部を改変したものである。)
楽山園は向山の頂上にある。大正2年(1913年)に大原孫三郎氏が果樹園芸界の大家である小山益太翁を招いて開いた理想的な高級果樹園で、面積約4ヘ クタール、果樹数千本、すべて最良種を集め、改良に改良を重ねたもので、桃では白桃、梨では二十世紀、晩三吉、西洋梨ドアイアンス、デユ、コニス、葡萄で は温室葡萄各種を主とし、その他アメリカから取り寄せたプラムコットなどもあり、品質の優良においては容易に他の追随をゆるさぬものがあった。中でも、温 室葡萄、西洋梨はしばしば宮内省へ献納された。
小山翁は大正13年(1924年)に、この園で没したが、翁の功績を記念するために、最初の園名「名田山果樹園」を改めて、翁の雅号楽山に因んで「楽山園」と名づけた。
園の頂上、標高100mの三角標を中心に、広い平坦部があって、眺望の良い理想的な展望台であった。南は藤戸の古戦場が脚下に展開し、児島の山々の間に 瀬戸内海、四国の遠山が見え隠れし、西は近くに足高山、遠くは遥照山等吉備の名山を望み、東は最も視界が広く、岡山平野が一幅の地図を広げたように見え、 道路、橋梁、村々を一つ一つ指さすことができ、丘陵がその間に点在して趣を添え、児島湾も一望の中にある。小豆島および東備の遠山淡くその後をめぐり、風 景の美しさは本当に言い尽くすことが出来ない。園内の桃、梨の花が艶を競い合う陽春の頃と、美しい果実が沢山連なる秋晴れの頃に園を訪れるのが最適であ る。この園から東へ峰を越すとすぐに小野小町姿見の井戸から、日間薬師へ出られる。

研究所創設当時の名田山果樹園の様子を示す写真が、研究所の史料館に展示されている。
(注、その後、楽山園は閉鎖され、果樹園もなくなった。また、一部土地の埋め立てなどによって園内の地形も変形し、周辺の土地利用も変化したため、残念な がら、現在の風景は、ここに記されている約70年前の風景とは大きく異なっている。ただ、往時の様子を留めるのは、昭和10年に設立された小山楽山翁の石 碑のみである。)


研究所の史料館に展示されている果樹園の写真

Back to Top